2012年9月30日日曜日

トルコの日々。その5

公演を見守るスタッフの目線はこんな感じ?

今週も、曜日の感覚がないうちに過ぎてしまった。
昨日、私の組のゲネプロが終わり、いよいよ明日が初日だ。
私は明日の公演が終わったら、翌日早朝(5時!)の飛行機でイタリアへ帰る。明日は慌しく過ぎることだろう。

今週はオーケストラと一緒に、最終的な通し稽古が続いた。
オケと歌うのは大変に気持ちが良いけれど、物凄く神経も使う。ピアノ伴奏とは全く違う”音の幅”の感覚のようなものを研ぎ澄ませて臨まないと上手く行かない。
もちろん指揮者が居るのだけれど、舞台の上ではいつも彼を見ていられるシチュエーションとは限らない。
何度歌っても、気をつけなくてはいけないところはたくさんあるし、歌い慣れてしまったことで思わぬところでテンポを数え間違えたりしていることを指摘されて慌てたり・・・。
本当にオペラは生き物だなぁ、と思う事ばかり。
そんなわけで、思いのほか体力+気力も使った一週間が過ぎ、残すは本番のみ。
幸い、体調も良く、明日は一音でも理想に近い声を出すことを目標に、楽しんで歌いたいと思っている。

オペラは決して1人で作れるものではない。
このオペラでは私が主役で、たくさん歌う役だからと、どこで歌っても周りが本当に気を使ってくれる。
今回、このトルコという国でも、言葉が通じないながらも目が合うだけで彼らが私に気をかけてくれているのが分かる。衣装さんもメイクさんもかつら係りさんも小道具さんも・・・。
そんなスタッフやオーケストラ、合唱団、そして一緒に歌うソリストの全てに心からの感謝の気持ちを込めて、良い歌を歌うことが、私の出来る唯一の事だと思っている。
綺麗ごとではなく、どこの劇場へ行っても、本当に多くの人がそれぞれの持ち場で頑張ってくれている姿を目にすると、ライトを浴びて表舞台に立ち、拍手を受ける私は、彼ら一人ひとりの仕事の集大成なのだと思う。責任は重い。
しかし、だからオペラが好きなのだ。
オペラでは孤独感が無い。上手くいえないが、舞台に立っている自分は自分自身なのに、自分自身だけではないという感覚。
明日も、私の与えられた数多くの音を、一つ一つ心を込めて大切に歌おう。
演奏が終わったときに、劇場中が共有したその時間を幸せだと感じられるように・・・。

衣装・メイク付き通し稽古。
photo: Cansu Açikgöz




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トルコ日記、これにて終了します。
読んでくださってありがとうございました。
帰宅して一息ついたら、番外編を書きますっ!書きたいことたくさんあるしーーーー!
お楽しみに~♪

2012年9月26日水曜日

トルコの日々。その4

ホテルの部屋は東を向いているので、毎朝カーテン越しにも部屋が明るくなるため、どうも早起きしてしまう。
気持ちとしてはもっとゆっくりと寝ていたいのに、8時以降に目が覚めることが殆ど無い。
まぁ、元気だから良いのだけど。

トルコでの生活も残り1週間となった。
土曜日の通し稽古の翌日は一日フリーの日曜日だったので、朝食の後カメラを持って、海辺や街を写真を撮りながら散策した。
少し観光客気分。
街中は日本の日曜日のようにお店も殆ど開いていて、人が溢れている。
少し気温は下がったけど、太陽の光が強いので暑い。まだまだ夏服の人たちばかりである。

やがて昼時になり、ロレンツォから連絡が入って一緒にお昼を食べることに。
私が彼のホテルの近所に居たので、迎えに行ったらネクタイにジャケットという珍しくエレガントな姿で現れた。
「日曜日だから」だそうだ。
稽古場ではいつもは黒いTシャツで、お洒落なんて全く興味がないような格好をしているので、ちょっと微笑ましかった。
先日夕飯を食べに街に出たときに、夜の8時半でも開いているお店があり、「ポロシャツが買いたい」と言うので入店。しかし彼のサイズで好みの色がなかなか見つからず、30分以上悩んで試着してからご購入。
やっぱりこの人もイタリア人なのねぇ、と感心した次第である。

さて、昼ごはんを終えたところへコンサートマスターが合流。ここで二人はお仕事タイム。
第一ヴァイオリンの運弓法についてのチェック。横で見ているだけでもなかなか興味深かった。
色んなポイントを細かくチェック!
いつもふざけてばかりいるロレンツォも、一旦音楽の話になると目の色が変わる。

こんな風にオーケストラも細かい作業があるのだなぁ、とちょっと感動。

このあと、3人でホテルの近くにある「ショッピングセンター」へ行くことにした。
ショッピングセンターというか、いわゆる露天のようなお店がひしめき合っていて、洋服・バッグ・靴・アクセサリー(偽ブランド物ばかり!)などの他に、生活用品やお土産物、食べ物屋が果てしなく並んでいる。とにかく見ているだけでも楽しいところである。
「偽ラコ●テのポロシャツが欲しい」というロレンツォ、一軒のお店で希望の品を発見して目を輝かせた。しかし黒とか深緑みたいな暗い色ばかり選ぶので、「赤とかも着ればいいのに」と言うと「一度着てみたけど似合わなかった」と言うので、ボルドー色を薦めたら、気に入ったらしくそれも含めて3枚ご購入。ちなみに1枚20トルコリラ(8ユーロくらい!)。安い!!!
その他、稽古用Tシャツ(指揮者は休憩ごとに着替えるほど発汗するのである)を3枚と靴下も買い、ショッピング熱炸裂。
仕上げは出口付近にあった、「石のお店」。
パワーストーンとかそういう「何かの力」が大好きな彼は、ショーウィンドーに張り付いたまま動かない。
私もトルコに来た記念に、なにかアクセサリーでも買おうと思っていたので、お店に入ってブレスレッドを物色し始めた。やがてロレンツォも入ってきて店内のものにも興味を示し始めたところで店員さんがやって来た。
アメジストの置物の値段を訊き、いきなり「まけて」とイタリア語で交渉開始。????って顔をしている店員さんのために、私が会話集を引っ張り出してトルコ語を示すと爆笑。
かなわん!と思ったのか、小柄な女性店員と担当を交代して、去って行った。
この女性は少しだけ英語が話せ、とても感じが良く、にこやかに応対してくれて、結局何だかんだとロレンツォが選んだかなりの量の石も、私のブレスレッドも、全部オマケしてくれた。
コンサートマスターはとっととショッピングセンターの外で座って待っていた・・・(笑)。
私の戦利品。



夜は私の希望でピアニストのユリアを誘って、トルコ風ピザ・ピデを食べに街のお店へ。
これ、イタリアのピザとは似て非なるもので、結構私好み。チーズとお肉と卵がドーンとのっかっている。そして台の生地はサクサク・・・。
楕円形に焼いたものを食べやすく切って出してくれる。

イタリア人は「えええ、こんなのー」と言いそうだけど、ロレンツォは意外と気に入っているらしく、パクパクと食べている。
私もしっかり1枚ぺロリ。ご馳走様でした。

お腹が一杯だったので、少し遠回りをして散歩しながら宿に戻った。夜は人の気配も少なく、静かな街に心地よい風が吹いていた。
日中は人で一杯の商店街も。

街で一番大きなモスク。夜はライトアップ。


そんな感じでダラダラと日曜日を過ごし、とうとう初日に向けての最後の1週間が始まった。
まず月曜日はオケとの音楽稽古。Sitzprobe(ドイツ語)、Italiana (イタリア語)とよばれているものである。歌手は演技をせずに、音楽に専念する稽古だ。
午前、午後でダブルキャストが分かれて稽古した。
オケと歌うのは実は大変に気持ちが良い。しかしこの日は、1週間以上全く別のプログラムを演奏して久々に『蝶々夫人』に戻ってきたオケだったので、どうも午前中は歯車が噛み合わない演奏で、私たちも少し苦労した。
翌日の昨日の1幕のみの稽古では、さすがに色々と思い出したのか、かなりまとまりのある演奏になっており、舞台上で演技をしながらでも気持ちよく歌うことが出来た。
今日はその続きで、午前中が2幕、午後が最終幕の稽古である。
更に合唱団員の女の子に「ちょっと私の声を聴いてアドヴァイスしてください」なんてお願いされてしまったので、稽古の後にちょいとそんなことも。
こんな感じで90%(10%は食べることと寝ること♪)音楽に浸っている毎日で幸せな私。

夕暮れ時にはこんな空の色に癒されている。



2012年9月22日土曜日

トルコの日々。その3

というわけで、トルコに来てからあっという間に10日が過ぎた。
10日間の間、殆ど毎日ホテルと劇場を往復して、稽古に明け暮れていたのだが、たまにロレンツォと街に夕飯を食べに行ったり、ホテルのレストランで同僚とお喋りしたりと、楽しい毎日を過ごしている。
初めは目新しかったチャイにも、モスクからのお祈りの放送にも、凄い喫煙率にも、大分慣れて来た。特にトルコ語は、かなり耳に馴染んで来たが・・・相変わらず全く分からない。(爆)
同僚たちがおしゃべりをしているところに、なんとなく語調に合わせて「タビ、タビ(もちろん、という意味)」と言うと、みんな一瞬キョトンとした後に爆笑するのを楽しんだりしている。

昨日は午後がフリーだったので、イタリア語を少し話せるピアニストのユリアと、もう一人のトルコ人蝶々さんのセヴィンチにネイルに連れて行ってもらった。
生まれて初めてのネイル経験はトルコ!
とはいえ、舞台があるので派手なデザインはNGだから、形を整えて、甘皮を切ってもらい、ナチュラルカラーのマニキュアを塗って終了。それでもプロの手にかかるとこんなにも綺麗になるのか・・・!と昨日から感動して手を眺めまくっている私。これは病みつきになりそうだ!!!
ところでトルコの街で面白いと感じたことがある。それは建物の外装と内装の落差。
昨日のネイルの美容院も、入り口は「ええええ!?」と怯みたくなるようなボロさで、電気も薄暗くて「本当にここに美容院があるのか?」と、多分一人だったら速攻で帰ってきちゃったような建物の最上階にエレベーターで昇ってみると・・・!
広々とした近代的な内装のサロンが!!!
外装の写真を撮らなかったのが残念!

この落差には本当に驚いた。
通りに面した方角は全て窓になっており、さらにサンルームのような一角もあって、そこに座ってお喋りをしながらネイルをしてもらった。
もちろんチャイも振舞われる。そしてタバコと携帯電話(殆どの人がスマートフォンをお使いですが)。
このテーブルの周りにソファが置かれて、快適な空間に。

劇場でもどこでも、チャイとタバコと携帯・・・というのがトルコのスタンダードのように見える。
もちろん吸わない人も居るのだけど、イタリアのようにレストランやバールなどでタバコが吸えなくなった状況に慣れた身には、却って珍しく感じるのである。
携帯に至っては、若者でいじっていない人がいないくらい。稽古中も客席からビデオを撮ってる人が何人もいて、これで演出を覚える、とふざけたことをのたまわる若い歌手もいて、演出家がプンプン怒っていた。(笑)
まぁ、お国柄・・・なのかな?

さて、その演出家がスケジュールの都合で、今夜イスタンブールに帰ってしまうので、今日の午後からの稽古が実質最後の演出稽古で、私の組が衣装・メイク・かつらも付けての通し稽古をする。夕べ遅くまでライティングの設定をしていたようで、一応ピアノ伴奏ではあるが、実際の舞台通りの進行で行われる。
ピアノ伴奏での稽古も今日が最後で、明日の休日を挟んで、後は本番までオーケストラとの稽古になる。これは本当に楽しみ。
今日は3時開始だけど、準備のために2時間前に劇場入りしなくてはならない。
昨日は別の組が衣装とかつらだけ付けての通し稽古だったのだけど、やはり衣装を着ると、これまで自分の服で行っていた稽古とは労働量が全く違うので、裾さばきなどが大変そうだった。
ちなみに衣装は和装ではなく、洋装のドレスに袖部分に振袖が付いている、ネオクラシックとでも言うのか、かなりいい雰囲気の衣装である。
しかし立ったり座ったりの多い蝶々さんの演技には、かなり神経を使いそう。
今日は終わったらグッタリかな。

トルコに来て初めての雨模様の今日。
曇り空の黒海は、なんとなく勝手に抱いていた黒海のイメージ通りだったりする。

では、今日も頑張ります。




2012年9月17日月曜日

トルコの日々。その2

トルコに来て最初の週末が過ぎ、今のところ休みもなく毎日せっせと稽古をしている。
でも少しづつ慣れてきて、私も肩の力が抜けてきた感じがしている。
稽古のほうは、私に係わる事はきちんとこなしているので、順調と言えるだろう。
歌手仲間もスタッフも、最大のリスペクトで接してくれているのが、言葉が分からなくても感じる。

なんと言うか、ものすごい「おもてなし」の国、なのである。

例えば休憩の時には劇場内の喫茶室でみんなチャイとタバコである。歌手でもなんでも、とにかく吸っていない人のほうが少ないくらいの喫煙率!お国柄なのねぇ・・・。
で、私は今日初めてそこで自分のお金でチャイを飲んだ。
トルコに来たら、あなたもきっと病みつきに・・・。

今日までは絶対に誰かが「ご馳走させて」と、払わせてくれなかったのだ。
これは昼食の後や、稽古後のビールタイムなどでも、「飲み物は私が」「今日は私が」「遠くから来てくださったのだから私に払わせて」・・・と殆どお金を使うことなく過ぎている。

極めつけは昨日。
日曜日なので午前中の稽古だけ(といっても14時まで目一杯)だったのだが、その後「今日はピクニックです」と、芸術監督の車に乗せられた。
車はサムスンの街からどんどん東に走り、バフラという街に到着。他に2台の車が同行、ロレンツォ、演出家、もう一人の蝶々さん、ボンゾ役のバス、ピアニストとスタッフ数人の面々・・・。
バフラの街角

最早芸術の域に達していらっしゃるようなバイク・・・。
(バフラにて)

物凄いスピードで1時間くらい走ったので、多分少なくとも100kmくらい離れているのではないだろうか。
そのバフラはトルコ風ピザ「ピデ」が有名な街らしく、どうやらその中でも有名店に来たらしい。
空腹を抱えて待つ面々

しかしここに来る、と決めていたにも係わらず予約していなかったのはご愛嬌で、15時過ぎなのに店は満席、少し待つことになった。
その合間に私はそこらへんの写真を撮ったりして、いわゆるトルコの「普通の生活」の匂いがする風景を楽しんだ。
ピデはお腹にどっしりと溜まったが、表面がカリカリとしていてちょっとスナック感覚で食べられる。
こういう風に閉じてあるのがバフラピデらしい。

唐辛子の刻んだものがテーブルに置かれていて、それを好みで付けながら食べた。

ピデの後は「ワインを飲みましょう」と別の店へ移動したが休業。
そこでどういう風に話を決めたのかは私とロレンツォには分かるわけも無く、ただ黙って後をついて歩いていくと今度はスーパーマーケットに入ってゆく。
これ幸い、と私は買いたかったハート・クローバー・スペード・ダイヤの形をした角砂糖やミネラルウォーター、りんごなどを買った。
で、何故スーパーに入ったのかと言うと、ワインを買うためであった。
「このワインを飲みにイイところへお連れします」と言うようなことを言う芸術監督。
再び車に乗って、まだガーーーーっと走り出した。
バフラの街を抜けて、また国道のような道をひた走り、途中で今度は内陸に向けて左折した。
黒海沿いの風景が、田園牧歌的な風景に様変わりし、40分も走った頃に大きなダムが見えてきた。これはクズルウルマク川をせき止めたデルベント・ダム湖。


更にこの先の川の上流の景色の良いところまで車を走らせ、ある地点で車を降りて、そこでおもむろにワインを取り出し、景色を眺めながら赤ワインを飲んだのである。
静かで美しい景色を眺めながら、こんな遠いところまで連れてきて、美しいトルコを見せようとしてくれた心意気に、なんだか胸が熱くなった私であった。
夕暮れの中をゆったりと流れる

手付かずの自然が美しい


言葉が思うように話せない同士でも、伝わるものがある。
ある意味、勘と感を総動員してのコミュニケーションの日々である。
でも、彼らの優しさやリスペクト、もてなそうとしてくれる気持ちは本当に言葉以上にひしひしと伝わってくる。
私はそんな彼らに対して、100%の力で良い演奏をすることで、お返しをしたいと思っている。

というわけで、稽古の日々は続くのであった・・・。



おまけ。
トルコと言えばチャイな話はもう一つあって、今朝ちょっと練習用の靴を買いにあるお店に入ったら、そこのお兄さんが私以上にサバイバルな英語力で、言語ではないコミュニケーションでサイズとか値段の話(?)をしていたのだが、突然「チャイ飲む?」と訊く。靴屋でチャイ!? ガイドブックに書いてあったことは本当だった!!!
トルコ、さすがなチャイ帝国である。(クソ暑かったので丁重にお断りいたしました。ありがとねー)




2012年9月15日土曜日

トルコの日々。その1

きっと何回かに渡って書くことになると思われるので、今日の分は「その1」にしてみた。
続きを書かなかったら締まらないので、多分書くつもり。
3日分をまとめて書いたので、少し長くなってしまいました。
おひまな時に読んでいただければ幸いです。

さて、トルコに着いた翌朝は何だか時差ぼけを引きずっているような気分で目覚めた。
ホテルの部屋から黒海を臨む

しかし稽古に参加する・・・と思うと、気分も高まると言うもので、あまり眠れなかった割には気分的にはイケイケな感じだった。
14時に前夜迎えに来てくれたグネスさんがホテルのロビーに現れ、そこから徒歩100mくらいのところにある劇場へと案内してくれた。
つまりお隣の建物なのだ。

サムスン国立オペラ&バレエ劇場(という名前だと思う…)


モダンなデザインの建物の中はちょっと入り組んだ作りになっていて、連れて歩かれながらキョロキョロ。
分かったような分からないような感じのまま、最上階にあるレストランへ連れて行かれた。
レストランと言っても、ランチは劇場職員のための食堂といった趣で、ここで初めてのトルコ料理らしきものを食べた。
何か穀物を蒸したものをお米のように付け合せ、それにインゲンの大きな感じのもののトマト煮となすとお肉のスパイシー煮込みを一緒に盛ってもらい、なぜかコカコーラを渡されたのでそれも一緒に頂いくことに。
スパイシー煮込みが結構私好みだったが、舌で感じるよりも身体はそのスパイシーさを強く感じたらしく、食べているうちに身体が火照ってきた。
まぁ、美味しく頂いたその昼食の場でロレンツォと再会。この人は本当にいつ会っても同じテンションで分かりやすいと言うか分かりにくいと言うか・・・。でも久しぶりに会ったのになんだか全然変わっていなくて面白かった。

稽古が始まる前に紹介しなくちゃいけないので、とグネスさんがオフィスの方へ案内してくれた。
もちろん総支配人である。
秘書の部屋でしばらく待っていると、背の高いスーツを着た結構カッコいい人が現れた。年のころ、同じくらいか?
しかし落ち着きがあって、なかなかダンディーな総支配人である。
この方に「是非飲んで!」と薦められ、トルココーヒーをご馳走になった。
お水と一緒に出されるトルココーヒー

コーヒーは大好きなので喜んでいただいたけど、あの底に残るコーヒーの粉を一体どのくらいまで飲むべきなのか悩んでしまった。(後で聞いたら好きな人は粉も食べちゃうし、地方に行くと粉を残してお湯を足してお代わりにする人も居るらしい)
にこやかに怪しい英語でご挨拶と当たり障りの無い会話をして退散。
この総支配人は元バレエダンサーなんだそうで、なるほど納得!

さて、いよいよ稽古場へ。
レストランで演出家や共演者の何人かとすでに挨拶をしたのと、劇場側は私の到着を今か今かと待っていた感もあり、会う人会う人に「Welcome to Turky!」と笑顔で声を掛けてもらい、すんなりとその場の空気に馴染むことが出来た。
トルコ人、フレンドリー♪
稽古はオペラの中で最もやる事が多い(笑)2幕からであった。演出家はすぐに私に、と言ってきたが、何も知らない私に一々説明しながらやるより、一度出来上がっているものを見せていただいた方が時間の無駄がないと思う、と言って、まずはもう一人のバタフライさんにやっていただいた。
演出はとてもシンプルで多くを求められることも無く、分かりやすかったので、繰り返したときには結構スムースに進み、結局3幕まで突入。
コカコーラとスパイスとトルココーヒーのお陰でか、寝不足でも全開バリバリで歌ってしまった・・・。

稽古の後はロレンツォが「劇場付きの別に指揮者に夕飯に招待されているので来い」と言われ、一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びて着替えた。
この時にロレンツォは「この町でもかなり良い魚料理のレストランに行くらしい」と言っていたので、一応ワンピースとか着てちゃんとお化粧も直して出かけた。
しかし車で迎えに来てくれた指揮者氏が連れて行ってくれたのは、高級レストランではなく、とても大衆的な魚レストラン。ここは近所の魚屋で食べたい魚を買い、この店で調理してもらって食べると言うシステム。レストランはサラダやポテトフライ、飲み物などを出すのだ。
旬だというカタクチイワシのグリルを山ほど食べ、ポテトフライの美味しさに驚いた。
そして食後は念願の初チャイ!
噂通り、トルコはチャイなのだ!!!

ここにはオーケストラのメンバーが何人か集まって盛り上がっていた。
英語とトルコ語とイタリア語となぜか一人日本オタクがいて、日本語まで飛び出した夕べだった。
11時前にゾンビのようになって帰ってきた。で、バタンキュー。

翌日の稽古は午前中がオケ合わせ。
こちらはもう一人のソプラノさんに歌っていただき私はノンビリ。
しかしその分午後は、装置の設置された舞台での演出の稽古で目一杯働いた。
汗だくの稽古が終わり、なんとなく誘い合わせて最上階のレストランへ。
ここのテラスが最高に気持ちよく、疲れた身体にさわやかな夜風とビールとおつまみ・・・。
トルコのビール。苦味があって美味しい。撮影用に演出助手が自分のも並べてくれた。ww

トルコ語とイタリア語と英語でわいわいとお喋りして、みんなで疲れを癒した。
そのまま軽食を夕食にして9時の閉店と共に解散となった。

そして今日。朝からひたすら演出の稽古である。
子役もやってきて、熱の入った練習になった。
昼食をはさんで夜の6時半まで目一杯。
さすがに疲れ果てて、ロレンツォの誘いも断って今夜はノンビリすることにした。
彼は他の歌手連中とどこかへ行ったらしい。
今日の昼にまた別の「魚を選んで調理してもらう」レストランへ連れて行ってもらったのだが、ここで選んだ鯖が立派過ぎて(凄く立派なのに4トルコリラ=2ユーロ!)、全然お腹が空かなかったのだ。
建物に入るとこんな魚屋が並んでいて、自分で食べたい魚を選ぶ。
見るからに新鮮な黒海の魚である。

ついでに、ここのところ調子に乗って飲んでいたビールも今日はお休み。
昨日の衣装合わせで、ぴったり過ぎる衣装であることが分かり、あと15日間でちょっと絞っておいた方が動きのためにも無難であること間違いなしである。

明日は午後はお休みになるらしい。
いよいよ町を散策できるのかもしれない!
今日、芸術監督に「サムスンはどうですか?」と訊かれ、「残念ながらホテルと劇場しか知らないので、なんとも言えません・・・」と答えて爆笑された。
明日はショッピングの楽しめる通りとやらに行ってみたいと思っている。

昨日から劇場内に貼られた公演ポスター。
なかなかステキ。



2012年9月14日金曜日

トルコ入り。

前回のブログでお分かりのように、一昨日の夜中にここトルコはサムスンという黒海沿いの町に到着した。
夜7時半にヴェニス発、イスタンブールで約3時間の乗換えを経てサムスン到着、というスケジュールだったので、ヴェニスの空港でイスタンブール行きの飛行機が夕立のために1時間遅れ、というアナウンスには「乗り換えの待ち時間が短くなって却って良かったかも・・・なんて余裕をぶっこいていた私。
3人がけの真ん中席で、トルコ人男性(友人同士)に挟まれてイスタンブールまで。
国際線なのに、肘掛やリクライニングがガタガタだった。結構満席だったようで、機内食のサービスもちょっとおざなり。
でも私はあまりこういう事を気にしない性質なのでスルー。日本人だと結構クレームが出そうな感じではあった。

イスタンブール到着直前の夜景は、想像以上であった。
チェックイン時に窓際を頼まなかったのを本当に後悔した。さすが、イスタンブール。
次回はこの街を観光に来なければ、と心底思った。

しかし飛行機はなかなか着陸しない。
トルコ航空の傾向なのだろうか、「当機は着陸態勢に入ります」というアナウンスから30分が過ぎてもまだ低空飛行が続いている。
燃料は大丈夫なのか!? と突っ込みたくなった頃、ようやく着陸したが、今度はなかなか駐機地点にたどり着かない。
なんだかんだで時間が過ぎ、飛行機を降りた時は予定よりも1時間45分ほど過ぎていた。

3時間近い乗換えで余裕をぶっこいていたはずの私は焦り始めた。
次の飛行機に間に合うのか????

ここで、旅行者の皆さんに情報です。
イスタンブールに到着した後に国内線で別の街へ行く場合は、イスタンブールで降りる乗客と同じパスポートコントロールを受け、預けた荷物は受け取らずに一旦外へ出て、今度はドメスティックのターミナルへ移動・・・となります。
もちろんもう一度手荷物検査もあり、結構な時間を食います。

というわけで、長蛇の列のパスポートコントロールを通り抜けたのは、チケットに記載された搭乗時間!そこから私は走った!!!!

汗だくになってゲートにたどり着き、汗を拭いて身だしなみを整える私を不審な目で見るトルコ人・・・。そう、ここにはもう殆ど外国人は居らず、日本人の私はかなり注目度が高かったー。

まもなく搭乗時間になり、再び飛行機内に。
今度は窓際だったので、二コ子をしっかり準備して席に着いた。
隣はトルコ人らしき女性。
私は暑さの余韻で扇子でバタバタ扇ぎ、この女性は寒そうに上着を毛布のようにかけている。
目が合ってお互いクスクスと笑った事で会話が始まった。
離陸までの間、窓の外の写真を撮る私に「ほらっ、今がシャッターチャンスよっ」とけしかける彼女は、フランクフルト在住のトルコ人で、私と怪しいドイツ語で会話が進んだのだった。
「ありがとう」のトルコ語を教えてもらったりして、退屈せずに1時間強のフライトは過ぎた。
ちなみにトルコ航空、この国内線の方が新しく綺麗な機体で、シートの座り心地も断然良かった。
国際線ももうちょっとどうにかなることを望む・・・。

さて、サムスンに到着すると、小さな空港なせいか、飛行機から降りてターミナルまでは徒歩!!!ローコスト以外でこんな経験は初めてである。
降りたところで地上係員がなにかを「トルコ語で」言っている。そして降りた人は二手に分かれてターミナルに向かっている。
良く分からないので、民主主義の私は大人数の方へ着いていった。
スーツケース受け取りのベルトコンベアーの前で自分のスーツケースが出てくるのを待っていたが、なかなか出てこない。最後の荷物が出てきたのを見て、仕方なく窓口に問い合わせたら、トルコ語で「イタリアから?」(イタリーって言葉だけ分かった!)と言うのでそうだ!と言ったら、ココではなくターミナルの反対側が受け取り口だという。

つまり、イスタンブールで国際線乗換えで積み込まれた荷物は別の場所で受け取らねばならないシステムらしい。

大体、国内線乗り換え時に、一旦ターミナルの外へ出た事も無ければ、飛行機の荷物の受け取りが別々だった事も経験上ない。
そんなわけで、再びダッシュで空港内を横切って荷物を取りに行った。
無事に届いていたので良かったけど、迎えに来てくれた秘書のグネスさんを待たせてしまったのが申し訳なかった。

夜中の3時に無事に迎えの人に会い、車に乗ってホテルまで連れて来てもらった。
チェックインをして、ようやく部屋に入ったのが3時半。
もう、今日は何もしないで寝るー!!!!と思ってスーツケースから洗面道具を出そうとしたら・・・ん?なんだかスーツケースが濡れている?
私は大荷物対策で、ソフトケース愛用者なのだが、どうもかなり濡れている。
慌てて開けてみたら、ふたの裏に入れていた楽譜は濡れてコピーは一部ボロボロ、蝶々夫人の楽譜も水沁みが出来ている。おまけであるアリアのピースの赤い表紙が色落ちして、スカーフに色が移ってしまっている。
そのほか、靴も洋服もどれもジメーーーっとしていて、とっとと寝る予定は撤回、全ての洋服をハンガーに掛けたり、楽譜を広げたり・・・と大仕事になってしまった。

そんなこんなで4時半就寝。
翌朝は昼までゴロゴロしてから劇場に行き、まずは昼ごはん時にコカコーラ、その後そう支配人に挨拶に行ったらトルココーヒーが出され、カフェイン注入180%!!!という状態で稽古に出てガンガン歌い、夕食会にまで参加して、23時前にゾンビのようになって帰ってきた。

さすがに今日は岩のように熟睡。
お稽古全開バリバリであります。
今日までホテルとその隣にある劇場しか町を見ていない私。
明日は、ちょっと早起きしようかな・・・。

いずれにしても、現在睡魔と闘いながらこれを書いているので、きっと誤字脱字が凄いと思われるが、読み返して直す気力も無いので、今日はこれにて。
明日以降、訂正するかもかも。

ほな、おやすみー。

2012年9月11日火曜日

ロレンツォ


年季が入っている、と言うよりも、扱いが荒くてこうなった気の毒な楽譜…。

先週の木曜日の夜、夕飯の片づけを済ませてPCの前でネットサーフィンをしていた私。
そこへFacebook上の私宛の書き込みが届いた。
開いてみると、友人で指揮者のロレンツォが大慌ての「口調」で「お前のためのバタフライの話がある、大至急電話しろ!」と書かれていた。

随分久しぶりのコンタクトである。
慌てて持っている番号に掛けてみたら、留守番電話サービスに繋がってしまう。
そこでFBに「繋がらない!持っている番号が古いかも知れないから、電話番号を教えて!」と書いたら、今度はプライベートのメッセージを利用して滞在先の番号を送ってきた。

話を聞くと、トルコへ『蝶々夫人』を振りに行ったが、用意された主役の歌手が声質的に彼の求めるものと違う。他にも何人かトルコ国内で探したが、気に入った歌手も都合が悪かったり妊娠していたり・・・という不運が続き、とうとう劇場から「誰か知らないか?」と訊かれたのだそうだ。
8年前にこのロレンツォとはスロヴェニアで共演している。あの時も、同じような状況で彼が紹介してくれて歌う事になったのだった。

ローマに留学した当時から、近所に住んでいた事もあって、友達としても何かと仲良くしてくれたロレンツォ。
少しアクが強くて、彼を苦手という人も居るのだけど、私はそんなアクの強さは彼の繊細さの裏返しだと思っている。
実際に彼の指揮ぶりを見ていると、心底真面目で、堅実である。本当に作品に対して敬意を持って向き合っているのが分かる。
マエストロという重みがあるのに、普段は冗談や悪ふざけばかり言っているお茶目な人なのだ。
一緒に食事に行った時の写真が残っている。
べー、と舌を出して、そこにローストビーフの薄切り肉を載せているロレンツォ・・・( ̄▽ ̄;)
偶然なんだけど、つい先日その写真を見て大笑いしていたのだ。
虫が知らせたのかな?
皆に見せたいけど、さすがに無理なので、各自ご想像ください・・・。

夕べ、劇場と無事に契約を交わした事を連絡したら電話をくれた。
「俺が色んな歌手をNOと言った理由を劇場に分からせる為にお前を呼んだ。だからお前は俺のイメージするバタフライそのものなんだから、しっかり歌えよ」と。

ひえええええええ、それって凄いプレッシャーなんですけどぉぉぉ・・・・(/´Д`)/

滅多に会わなくなっていたのに、おまけに随分長く私の声も聴いていないのに、私の事を信じて連絡をくれたロレンツォの為に、本当に本当に頑張って歌わなくちゃ、とエンジンがかかりまくっているところ。
明日の夜出発します。


2012年9月3日月曜日

結婚式




自分の年齢のせいもあると思うが、あまり結婚式に出席することのない私。
昨年、友人のエミちゃんとジャズドラマーのトマーゾの結婚式に出席したのがなんと6年ぶりだった。
何故か私たちの周りには結婚する友人が少ない。
パリデとエリーザのカップルは既に付き合い始めて17年にもなろうと言うのに、特に彼の方に結婚する気が全く無い。それでも二人の関係は円満なのが救いだ。
考えようによっては、結婚することよりも、カップルの関係が上手く行き続ける方が重要だとは思う。でもエリーザが早く結婚したい、と思っているのも女の私には分かるのだよなぁ。

そんな中、久しぶりに結婚式に出席した。

先週の土曜日に、私がパドヴァに移り住んでから知り合い、年齢差を超えて(彼女は30歳!)仲良くして来たロッサーナが、彼女と知り合った当時から付き合っていたドメニコと結婚式を挙げた。

彼らカップルとはウマが合い、山での休暇も何度も一緒に行ったのを始め、私がオペラに出演したオーストリアの田舎町まで聴きに来てくれて、そこから一泊旅行でプラハへ遊びに行ったり・・・。
と、振り返ると本当に色々な時間を一緒に過したのだ。
私にとっては妹のような親友のような子分のような、本当にかけがえの無いロッサーナの結婚式は、言葉ではちょっと言い表せない喜びであった。

教会での式ではもちろん歌った。
Ave verum corpus、Panis Angelicus、そして最後にマスカーニのAve Mariaを。
オペラ好きなロッサーナは『O mio babbino caro』とか歌って欲しい、と冗談交じりに言っていたが、教会のきまり(式を司る神父の意向も大きい)には逆らえない。
現代的な彼女も、結婚式は家族の強い希望に従い教会で式を挙げる事に決めた。
この辺はまだまだカトリックの精神というか、宗教に重きをおくイタリアの風習は根強いようだ。

夫はオルガン担当なので、二人でまだ誰も居ない教会に行き、音響チェックを済ませてから、ロッサーナの家へ向かった。
イタリアでは式が始まる前に花嫁の自宅で軽食を振舞う習慣があるのだ。
これは、遠方からはるばるやってくるお客さんの為のものだそう。
出席者が腹ごしらえ!?

すっかり身支度を整えたロッサーナの晴れやかな笑顔が私たちを迎えた。
彼女を良く知る私だったが、余りにも普段どおりに冗談を飛ばしているのには驚いた。
しかしその笑顔は、心の底から幸せそうでだった。
式の前々日に、曲目の最終打ち合わせで電話をした時に、「式に向けての準備は、想像以上に大変で、両親や証人のエリーザが居なかったら私は明日教会にパンツ一丁で行っていたわ」と大笑いをしていた。
でもそこには、周りの人に対する深い感謝の気持ちがあるのを感じた。
そんな事を思い出しながら、結構ウルウル来そうになった私は、夫を促して一足先に教会に戻った。
準備完了!

参列客が教会に来る頃にはオルガンを弾いて雰囲気を盛り上げるのも大事なこと。
そのうち花婿のドメニコが、これまた満面の笑顔で現れた。
写真を撮ったりしているうちに、やがて花嫁を乗せた車が到着。私は夫がタイミング良く結婚行進曲を弾き始められる様に合図を出す役目。

やがて花嫁がパパと腕を組んで入場し始めた。
この瞬間、私は胸が一杯になって涙ぐんでしまった。
これから歌を歌わねばならないのに、これはまずいっ!!

神父が入場して式が始まった。
第一声、神父の言葉のお陰で、決壊しそうだった涙は引っ込んだ。

「今日のよき日に、ドメニコとロッサンナの結婚の儀を・・・」

ロッサンナ?

お年寄りだし、読み間違えたのかな、と思っていたが・・・。
結局神父は式の間に何度も読み上げるロッサーナの名前をずーーーーーっとロッサンナと呼び続けた。
その度に「だから違うんだってば」とブツブツ呟いていた私。
そのせいか、ロッサーナ自身もなんだか緊張もせずにニヤニヤ笑っている。
私が1曲目を歌い終えたらこっちをみて「グー」の合図を送ってきた。

神父のお陰か、終始にこやかに式は終わった。
晴れて彼らは夫婦に!



その後はまずお昼の部の食事会。
こちらは証人などを務めた友人達と家族親戚縁者などが出席しての、ちょっとかしこまった会。
私達を含む、大部分の友人は夜の夕食会に出席する事にしていたので、一旦彼らに別れを告げて帰宅した。

夜8時半に丘陵地帯にあるレストランへ。
夜の部は完全に気心の知れた友人や仕事仲間が集まっての大騒ぎ。
とは言え、美味しい料理とワインも振舞われ、楽しく盛り上がった。
ここで結婚式でお約束の「新郎新婦の生い立ち」ビデオの放映である。
これは証人を務めた友人のアンドレアが制作したもので、彼らの小さい頃からの写真を色々と集めてビデオにしたもの。
彼らととにかく良く一緒に旅行をした私たちに、なにか「お宝写真」はないか、と訊いて来たので探したらあるある・・・!
プラハで大ジョッキビールをいくつも並べてご満悦の顔や、朝の10時半に朝食代わりにビッグマックをかぶりつく写真(腕時計の証拠付き。笑)、ドロミテの岩山にへばりついて登る写真、寝起きで髪の毛が全て逆立っている写真・・・ビデオのかなりの箇所で私たちが撮った写真が出てきて、改めて彼らとの関わりの深さを再認識した。
どのシーンも「あ、あの時の!」とすぐに思い出せるのは、本当に楽しかったという事だなぁ、と思いながら観ていた。

今日新婚旅行のマルタ島へ旅立った二人。
ロッサーナが今朝電話をくれて、式の日は4時に帰宅したこと、とても楽しかったこと、翌日の昨日は頭痛で死んでいたことなどを話してくれた。
旅行から帰って、落ち着いたらご飯でも食べようね、と言って電話を切った。
今頃飛行機の中で爆睡していることだろう。

いつまでも仲良く楽しい二人でいてね。
心から、おめでとう。