2012年2月24日金曜日

お腹が壊れた。


今朝、どうしようもない胃の痛みで目が覚めた。

とりあえず、フラフラになりながら作ったお粥を食べたら落ち着いた。
いわゆる胃酸過多によるものと思われる。
昨日の午後、やたらとへんな時間に空腹感を感じて「おかしいな」とは思っていたのだけど、実は昨日から始まっていたのかもしれない。
そんな事は露知らず、夕飯はガツンとお肉を食べ、更に風邪っぽい症状が出たのを抑える為にいつもどおりアスピリンを2錠飲んで寝たのだ。
多分これら全てをひっくるめて、お腹は壊れてしまったらしい。



大体思い返すと、ここ10日間くらいの私の食生活は酷かった。
平日に夕飯を作る時間がなくてピザ、土曜日は夫と二人でレストラン、日曜日はコンサート後の食事会、火曜日の夜は夫の合唱団のボイストレーニングに行き、練習終了後(23時!)にカーニバルの最終日と重なっていたため、カーニバル菓子(おまけに揚げ菓子)や手作りケーキなどがてんこ盛り、そして水曜日は友人カップルを招いての夕食会・・・。
よくもまぁ、こんなに食べたもんである。口内炎が出来なかったのが不思議なくらいだ。
お腹が壊れた事を良いきっかけに、真面目にダイエットをしよう、食生活を見直そう、と思った次第。

さて、今日は午前のレッスンを断って、お粥を食べてベッドに戻った。すると2時間弱でまた胃がギリギリ言い出した。消化されてしまったらしい。
起き出してまたお粥を食べた。面白い事に食欲はある。
ただ、大好きなカレーは食べたいと思わないところに、自分の具合が普通ではないという事が分かる。
午後は一人レッスンした。
いまいち力が出なくて、いつもよりソフトなレッスンだったと思う。まぁ、たまにはいいか。

結局、ふりかけ、梅干、ごま塩などを駆使して、今日は一日お粥を食べていた。

面白い事に、こういう時に食べたいと思うのはやはりお粥なのだ。
イタリアにも"病人食”というものはある。パスタや茹でたお米に塩をオリーブオイルをかけただけとかいうものだが、全く食指が動かない。
DNAというか、三つ子の魂百まで、というか・・・。


明日ももうチョット頑張ろうと思う。鳥の胸肉を蒸したものや生姜を加えても良いな。
同じお粥でもタダでは起きない食いしん坊な私。

2012年2月20日月曜日

耐寒コンサートと鱒料理


イタリア中にある教会でコンサートをする事は良くある話。
でも冬の教会でのコンサートは堪える。とにかく寒いのである。
 昨日のコンサートもバロック様式の美しい教会だったけど、控え室はこの主祭壇裏のスペースで、だだっ広く寒かった。
【上の写真の裏はこうなっている】
私はお手伝い出演だったため、待ち時間も長く、身体が冷えて硬くならないように控え室を意味もなくウロウロ・・・結構疲れた。
コンサートはアルツハイマー協会のためのチャリティーで、人もたくさん集まり盛況だった。
 音楽はやはりエネルギーがあるのだ、と信じたい。

 コンサート後は主催者の誕生日会も兼ねた夕食会。
50人強の人が集まり、わいわい大騒ぎ。
お料理は鱒料理。
 お腹がぺこぺこでテーブルに座ると、目の前になんとも魅力的なグリッシーニが。全粒粉かな、とにかくあっという間に2本がお腹の中に。
 つづいて前菜はバッカラ(干し鱈)ならぬ鱒のマンテカート。風味が違ってて美味しかった。
マンテカートの横にはトロトロのポレンタの上にラード(コロンナータ風)が載っているのも添えてある。美味しすぎる!

プリモは2種類。鱒のリゾットプリプリ海老の手打ちパスタ和え

どちらもあっさりした味わいで、胃がもたれることなく美味しく頂いた。
 この後セコンドに鱒のオーブン焼きが出たのだが、写真を撮るのを忘れました・・・。

寒かったけど楽しくて美味しい日曜日だった。

2012年2月17日金曜日

エミリア・ロマーニャへ

用事があってお隣の州、エミリア・ロマーニャのアドリア海方面へ出かけてきた。
先日の寒波の影響で大雪に見舞われたというニュースは聞いていたが、こうも露骨にポー川(州境にある)を渡った途端に雪景色が広がって居るのを見たら、笑いが込み上げて来た。
しかし高速道路の路肩に積み上がった雪は未だに溶けず、更に目的地のアドリア海近くの内陸部は、アスファルトは綺麗に除雪されていたが、両脇は一メートル以上の雪の壁、畑も家も雪に覆われていた。 こんなイタリアは、ドロミテの山以外見たことがなかった。
でもお天気も良く快適なドライブだった。

2012年2月12日日曜日

ホイットニー・ヒューストンの死

朝起きて一番最初に、この大スターの死のニュースを目にした。 文字通り目を疑った。 48歳という若い死は「信じられない」という言葉しか浮かんでこなかった。 彼女の黄金期は90年代、私も若くて元気一杯だった頃だ。 やがて彼女は大スターの多くが陥るドラッグ、アルコールなどの依存症へを身をやつし、同時に歌手としての活動もDiminuendoしていったように思う。 私もイタリアへ来て、オペラに没頭する日々が始まり、洋楽ポップスを聴く機会はどんどんと減っていった。 今日のこの衝撃的なニュースで、朝から彼女の歌を久しぶりに聴いてみた。 なんと言う歌唱力。声の張り。表現力。 ジャンルは違えど、大歌手というのはやはり伝えるパワーが並ではない。 そしてこのメロディー。 一気にタイムマシンに乗って、楽しかった学生時代に戻ったような気分になった。 今、音楽教室で教えている生徒達は、ほとんどがポップス歌手に憧れている。 彼女達は当然のごとく、今流行の歌手に憧れる。 13~16歳くらいの彼女達に、もっと別の世代に居た偉大な歌手の歌も聴きなさいと言ったところで興味など示さない。 でもやはりこうして改めて聴いてみると、ホイットニー・ヒューストンは一つの時代を築いた大歌手だったのだと思う。 そしてこの訃報でメディアなどに取り上げられる事で、彼女の黄金期を知らない生徒達も興味を示す事だろう。 大歌手の偉業は、こんな皮肉な形で語り継がれていくのかも知れない。 合掌。 I will always love you