2012年10月30日火曜日

低空飛行中

先週末に冬時間に移行したイタリアだが、その言葉に反映されるかのように、急に冷え込んで寒くなった。
1ヶ月パドヴァに滞在した母も帰国し、天気も悪く、なんとも悲しい週末だった。
日曜日は雨と風の音を聴きながら、母が日本から持ってきてくれた本を読みふけった。



須賀敦子さん
彼女の本を随分前から読みたいと思ってきて、ようやく実現した。
文庫本になっている全集の3巻までをネットで購入して母に持ってきてもらったのだ。
ミラノに長く暮らした彼女の文章からは、いわゆるイタリアの明るい太陽の光ではなく、この日のお天気のような少し灰色な空の下の冷たい石畳を感じられる。
彼女の暮らした時代のイタリアは知らないけれど、時間の流れのゆっくりなこの国では充分に想像する事ができるような気がする。

ところで先週のレッスンで一気にテンションが上がった私だったが、その後、ちょっと疲れが溜まっているところに夫がひいた風邪が見事にうつり、只今絶不調である。
週末からの冷え込みも、多分時期的なものであるとは思うが、私が風邪をひくのには充分な状況だったと言える。
それでも月・火は音楽教室へ行かねばならないので、今日までは気張っているが、実は結構キツい。
鼻と目と頭が詰まっているので、昨日は教えながらボーーーっとしてくる瞬間もあった。
おまけに音楽教室は11月に入るまで暖房を入れてくれないので、日が翳ってからの冷え込みは堪えた。かなり着込んで行ったつもりだったけど、足りなかった。
今日はブクブクの着膨れで行くぞ。そして明日からはちょっと真剣に治療に専念しなくては、と思っている。

皆様も風邪にはご注意を・・・。

2012年10月25日木曜日

魔法のレッスン。

ヴェルディのオペラ『Attila - アッティラ』。


ソプラノのオダベッラ役はドラマティコ ダジリタの声種の役で、特にプロローグの登場の場面のアリアが有名である。
上のCから下のHまで、文字通り、上から下への大騒ぎな曲である。
Santo di Patria(Violeta Urmana)
もう一つ、とてもカンタービレなアリアが第1幕冒頭にあり、こちらは若かりし頃にコンクールなどに持って行ったりしていた懐かしい曲。しかし多分軽く7~8年は歌っていない。
Liberamente or piangi (Caterina Mancini)

ヴェルディは大好きだけど、レパートリー的な作品ではないし、自分には縁がないと思ってきた。
ところが神様が「もっと勉強しろ!」と仰っておられるらしく、来月オーディションを受ける話が舞い込み、慌てて楽譜を引っ張り出した。
プロローグの方のアリアは譜読みから、第1幕のアリアは殆ど忘れかけていたのを記憶をかき集める様な状況であった。

登場のドラマティックなアリアは苦手なアジリタもあり、一人で練習しながらどこかしっくり来ないものを感じていたので、レッスンで先生に聴いていただいて率直な意見を聞かせていただき、それによってこのオーディションに挑戦するかしないかを決める事にした。

で、今日のレッスン。
自分で出来るところは何とかこなしたが、やはりアジリタで引っかかる。
「そんなアジリタじゃオーディションは無理よ」と先生がサクッと仰った。
やはりダメか・・・と思ったところへ「こうして御覧なさい」という先生の魔法のアドヴァイス。

その次の瞬間から、私の思考は一気にポジティブな方向へギアチェンジしたのだった。
正に先生の言葉は魔法の呪文である。
明日、オーディションの申し込みをする事にした。

勉強する機会があって、出来ない事が少しでも出来るようになるって、なんて幸せで贅沢なことだろう。
私は本当に音楽に生かしてもらっているんだ、と改めて感じた今日のレッスンだった。
オーディションは勉強する為の良いチャンス。
限られた時間で自分がどこまで出来るかを試すのも楽しいものである。

2012年10月20日土曜日

Viva Turchia! トルコ総括編


帰宅してからようやく 目の上のタンコブ プレッシャーだったコンサートが終わり、ものの見事に心身共に弛緩して生きている私。
忘れないうちに番外編を・・・と思ったのだけど、一体何を書きたかったのかがイマイチ思い出せない。そうこうしているうちに、ドンドン時間が過ぎて、益々記憶が怪しくなってきた。
とりあえず書き始めてみる事にします。(笑)

実際トルコでは楽しい事ばかりで、本当に素晴らしい時間を過させていただいた。
帰宅してからFacebookにトルコのお友達が一気に50人近く増え、いまやGoo★e自動翻訳システムナシではFBも使えなくなってきた。
その内訳は、共演した歌手、合唱団員、オーケストラメンバー、演出スタッフ、事務局の人、メイクさん、かつらさん、そして直接は多分会っていない彼らの友人?・・・とめっちゃくちゃ多岐に渡る。
でもこの20日間でそれだけ多くの人と触れ合う事が出来たって、凄いことだったと改めて思う。
この先、また会って一緒に仕事をすることが出来るのかどうかは今のところまだ分からないけど、そういう機会が訪れる事を心底願うばかりだ。


黄色いタクシー、ちょっと懐かしい。
街角で見たトマト売り。トルコのトマト、最高に美味しいです!


トルコは思っていた以上にいい所だった。
日本みたいに至れり尽くせりではないけど、個々の人間が自然な笑顔を投げかけてくれるので、休憩時間などに一人で居ても、孤独感を感じる事がなかった。
もちろん私が居た劇場という限られた空間での話ではあるが、それでも時間が経つにつれて、私がこの劇場に受け入れられて、ここに居る事が当たり前になって行っているような空気を感じた。
なぜなら初めて一人で劇場に入ろうとしたら(2日目の出来事。一日目は秘書の人が一緒だった)入り口のガードマンに止められたのだ。英語は通じないし、事務所に居る人を呼んでくれ、と言っても分かってもらえない。おまけにこの日はニコ子を持参して居たために、何かの取材と思われてしまったらしく・・・。結局通りかかった事務の人に助けてもらって無事に入ることが出来た。
速攻で秘書の人に「入り口のガードマンに私が不審人物でないと言う事を伝えておいてね」とお願いしたので、翌日からは「顔パス」で!(笑)

街に買い物に出ても店員さんが必要以上にフレンドリー。まぁ、こっちは客だから当然かもしれないけど、それでもやはりチャイを薦められると思わず笑ってしまう。
靴屋のお兄ちゃんも、ベルト屋のおっちゃんも、下着屋のおばちゃんも、洋服屋のお姉ちゃんも、一生懸命に私の欲しいもの、必要とするものを理解して探してくれた。そして一段落するとチャイ飲む?と来る。
しかしお茶を飲みながら長居をするほどの語学力もないので、いつも丁重にお断りしてしまった。
でもその心遣いがなんとなく嬉しい異邦人であった。
もう一つ感じた事がある。
私が滞在したサムスンは決して観光地ではない。そんな街で外国人、ましてや見ただけで東洋人と分かる人間が歩いていたら、他の国では大概ジロジロと見られるのに、なぜかそれがなかった。
歴史的にも色々な文化が交差した国だからなのだろうか、何となく自然に受け入れられてしまったような感覚。
それが居心地の良さをアップさせてくれたのは間違いない。

バフラピデ。結構ハマる美味しさ♪


番外編なので、これだけは書きたい。多分、この話が今回の滞在で一番私らしい話だと思う。
ゲネプロ(本番前の最後の総通し稽古)の日の事である。
始まる15分くらい前、衣装も付けてメイクも済ませて舞台上でのチェックをしていた私のところへ広報担当の女性がやってきた。
「ゲネプロが終わったらローカル局のインタビューを受けてくれるかしら?」と言う。「何語で喋れば良いのか全く見当がつかないけど・・・」と言ったら「質問は2つで、一つはトルコについての印象や感想、もう一つは蝶々夫人の作品についての思いを答えてくれたらいいので、ちょっと考えておいてね」と言って去っていった。
その5分後、再びちょっと慌てて掛け寄って来た彼女、「悪いんだけど、今インタビューしてもらっていいかしら?」と。楽屋でのインタビューということで、部屋に入るとTVカメラと普通のカメラマンが二人。メルハバーと挨拶した後、「じゃあ、インタビュアーは居なくて後で編集するから、とりあえずまず1番目の質問の答えを喋って!」というので、心を落ち着けてめっちゃくちゃサバイバルな中学生英語で「トルコには初めて来ましたが、気候も良く大変過しやすく、快適な日々を送っています。とても楽しく毎日を過して、美味しいものも沢山楽しんでいます」というようなことを話した。
蝶々夫人については少し真面目な答えにするつもりだったので、食べ物の話などを織り込んでチョイウケを狙った私であった。
さて、次は蝶々夫人について・・・と構えたところ「はい、もう結構です。ありがとうございましたー」ってな雰囲気で、インタビューが終わってしまったっ!!!!

ガガガ━Σ(ll゚ω゚(ll゚д゚ll)゚∀゚ll)━ン!!!

これじゃ、私はトルコに歌いに来たんじゃなくて、のんびり観光して美味しいものを楽しみに来たみたいじゃないか!!!!
お願いだからオペラの話も聞いてくれ!!!!

という私の心の叫びが彼らに届くはずもなく、大変遺憾なインタビューとなってしまったのだった。
こうなったら「英語が酷すぎるね」とか「メイクが怖すぎるよね」とか、どんな理由でもいいからカットされた事を祈るのみ・・・。
広報の女性もちょっと呆気に取られていた。そしてその日の夕食で訪れたレストランで彼女に会ったときに「あのインタビューは酷かったわよねー」と笑いのネタになったのであった・・・。

まぁ、そんな感じで、良くも悪くも「自然体」で駆け抜けた20日間だった。
『蝶々夫人』という作品のお陰で、今まで私は本当に色々なところを訪れる事が出来た。
そしてどこでも楽しくて素晴らしい体験が出来て、沢山の素敵な思い出がある。
これから先、そんな機会が一つでも多く増える事を期待しつつ、精進するのみである!

というわけで、トルコ初体験の日記シリーズはこれにて終了~。
最後までお付き合い、ありがとうございました(^з^)-♥Chu!!

黒海の上にぽっかり浮かんだ満月。
思わず「また来れるように」とお祈りしてしまった。

2012年10月4日木曜日

帰宅~感謝。

サムスンオペラ劇場


公演の後、そのまま寝ないで荷造り、早朝5時の飛行機で出発し、イタリア時間の10時過ぎには帰宅しました。
お陰様で公演は大成功(個人的には色々反省点があるので100点は付けられないのだけど)。
観客総立ちのカーテンコールは本当に久しぶりでした。
その興奮のままに、みんなが嬉しそうに打ち上げているのを幸せな気持ちで眺めていました。
私を信頼して呼んでくれたロレンツォの期待に応える事も出来たようで、大騒ぎな打ち上げの解散後に、改めて送ってくれたSMSでそれを確認する事が出来て、ようやく安心しました。

トルコでの日々は、音楽家としての自分を本当に満喫できた時間で、もうこのまま人生が終わってもいい!と半分冗談で思えるくらい幸せでした。
大きな有名劇場ではなくても、少しでも良いものにしようという気持ちがチームに段々と育ってゆくのを感じられました。
そして私にとって、毎日稽古に明け暮れる事が出来るって、本当に楽しいのです。
歌の事だけ、歌う作品の事だけを考えていれば良いって思える時間は、こういう稽古期間~本番の間のみ。
そして関係者の気持ちが一つになっていくような感覚。
この感覚は、多分カーテンコール以上に、私には麻薬のようなものなのです。
だから、実は本番が近づくと段々と寂しくなってゆく私。今回もGPが終わった後は、なんだかとても悲しかったです。
こんな貴重な時間を与えてくれた、劇場関係者、スタッフ、共演者・・・全ての人に心からの感謝を。
出発前にこんなに「We'll miss you!」って言ってもらったこと、短くない人生の中でもあんまりなかったかも知れません。
また来てね、って本当に心から言ってくれているサムスンの皆さん、多分12月の公演に出演する為にまたお邪魔します。
確実に決まったら改めて・・・♪

そして、今回はロレンツォとべったりで、馬鹿話からここ数年のお互いの人生について、音楽について、本当に色々語り合いました。これがとにかく楽しかった。
多分彼とはフィーリングが合うと言うか、お互いに認め合っているからなのか、とにかく信頼されていると思える感覚が相手への信頼に繋がって、良い形でエネルギーが二人の間を回っている、というような感じ。
しかしローマ人で、たまに激するとぶっ飛ぶので、友人としては何となく諌めたりアドヴァイスをしたり。意外と真面目に聞いてくれるのが可愛いところ。(笑)
ぶっ飛びキャラだけど繊細なロレンツォ。でも一旦指揮台に立たせると、昨今では数少なくなった「本物のオペラ指揮者」でもあるのです。
指揮が彼だったから、ON でもOFFでもこんなに楽しかったのだろうなぁ。
劇場の芸術監督とロレンツォと。楽しみすぎか・・・?(;゚д゚)


ある日、彼に「本当に長い間私の声も聴いていなかったのに、よく迷いもなく呼んでくれたね。不安はなかったの?」と訊いてみました。
彼は「ちゃんとまだ歌える、ってお前が言ったからそれを信じた」と一言。
そして公演後のSMSにはこんな事が書いてありました。
「素晴らしい演奏をしただけではなく、リハーサルの最初からレベルの高いプロとしての仕事をして、若い歌手達に良いお手本となってくれた事にも、心から感謝する」と。

頑張って勉強を続けていて、本当に良かったと心底思った瞬間でした。
ありがとう、ロレンツォ。これからもまた一緒に何か出来る事を祈ります。